写真家になる過程。。。私の場合 [私が、写真家になるまでの道]
新年度を迎えて新しい世界に飛び込む時期。。。新社会人GW5月病にならないでね!
新人時代新社会人時代どうだっただろう・・・(;^_^A アセアセ・・・
プロとアマの差は何か?お金を稼げるか?否か!まずはそこだろう。。。($∀$)
プロでも色々あるだろうが、だいたいのプロが、専門分野を持っている。
私の場合は、篠山さんの所出身と言う事で、人がらみと言うと事がほとんどだ!。。。
スポーツ写真。。。旅写真。。。 風景写真とその分野は!!!写真にも色々ある。゜.+:。クラ(@O@)クラ゜.+:。
どの分野も交通費やその機材準備お金は掛かるだろう。。。
写真家の中でも専門分野は沢山なのだ!これだけでは、もちろんな~~い~!極一部だ!
さてプロになるには???
夢?・才能?・運?・人脈?お金!知識!人柄!時代背景!
どれもあるのだと思う。まず本人だろう!!!
人の例え話は、離せないが、私の場合は、事実で話せる~
才能のない私は、レールの上を行くとな~る・・
プロの中で叩き上げと写真大学~スタジオマン上がり~助手経験!
叩き上げと言うのがある!?
第一に、写真学校に行くこれは、学と言うより!?
最終学歴が、写真大学(私の場合・写大)この世界で働く踏ん切りみたいなものなのだ~!
写真の学校は、大学と名が付くのは私の時代は4年生の日芸か?短大の写大か?
二者択一だった。。。今は、専門学校も多様だ。。。
写大も日芸も、写真の学校では、歴史がありOBにも有名写真家が多い。
才能の無い私はこの、踏ん切りが、後に引けない、決断力が、人生の分かれ目だった・・・
大学時代は18歳を過ぎ、青春時代の 事実上世間デビューみたいなものだぁ~!
大学時代で卒業してからも知り合った先輩と後輩と人と知り合えた事が、大きい!
皆も大学時代で、人生が大きく影響あったはずだ!
それと同様に卒業と言う同窓の肩書は大きい
普通の4大に行ってたら?バブル全盛期友人たちは、皆良い所に就職している!
きっと、写真家の選択は、無かったと思う。。。
中学高校と写真部に在籍し文化部だから中学一年生~高校三年生まで!
なんと6学年まとまっての部活動も先輩後輩との関係や上下5学年いたのが!
年上と接し方を学び後輩の指導の知らない間に身についたのかも知らない。。。
写真界は、野球界と同じ年功序列的な所がある。
そして先に入った者の経験順と並行している。
そして実力主義的な 物があるこの三種類が混同するのである
私の場合は、中学・高校の男子校特有の年功序列が、体に染みついているのかもしれない!
大学時代は、世間的に20歳大人になって高校時代より羽を伸ばせた時期になるだろう。。。
そこで優秀か?どうかは、関係ない事実私は、落ちこぼれ組、、、ぼそ
出席日数が、足りず、春休み特別授業で、単位を頂いた・・・
私の場合は、頭が悪いから手術をしていた時期があった・・・
東大入院してもうここが最後の砦?
大部屋の半分は、知らない間に退院・そんな環境だ!
ここで延べ300人近く人がお見舞いに来てくれた。。。
この時人の優しさありがたみを痛感した。。。
なので私の大学期間は、あまり記憶がない・・・
しかしこの期間に接した人影響は、大きい。
そして就職。。。こんな体だからぬくぬく写真関係の会社に勤める予定。。。
築地の広告代理店の子会社の写真部に内定を早い時期に頂いてた。。。。
大学の年二年の夏休みとかその広告代理店んでアルバイトしてた~
そしたらそこの写真部長さんが、初代の西宮正明さんのアシスタントだった。。。
君はいくつだね!早生まれの4月1日まだ?二年生19歳とかだったのかな・・・
やる気はあるか!と言うこれから入る会社「ありますと」答える=Tsu-
それならついてきなさいとっ手を引かれて!?
連れて行かれたのが、六本木スタジオだ!
当時写真学生は、六本木スタジオだけは、避けて行くようなとーっても厳し~~~い
スタジオなのだ~!?まさか土屋が六スタ!!!!!!!!!!!!の嵐
もうすぐスタジオ50周年周年だそうだ!!!
私は、22期年あたりになるのだと思う。。。
日芸や写大は、もちろん六本木スタジオもこれだけ写真家を排出してるの
世界広しとは、言えどもここしかないだろう。。。
大学で学ぶものも大きいだろう。。。大学で振るいにかけられ!
スタジオで経験する事は、さらに大きいだろう。。。さらにスタジオで篩にかけられだ~!
このスタジオで学んだ事は、口に例えられない!
それだけこの時期にスタジオ経験を積めたのは、幸いだっただろう。。。
体力の無い、私が、ここで耐えられたのは、
今後の人生できついとか言う良い訳は出来なくなった・・
そしてスタジオへて就職するより、フリーの姿をまざまざとスタジオ時代に
ありとあっらゆるカメラマン達を見せつけられた!
写真界における篠山紀信事務所の存在意義をスタジオ時代に知った。。。
私が、写真家になる迄・・・篠山弟子入り・・編
助手入りしたのが、1986年。。。篠山さんが46歳の時だった!もう当時では、超大物だ。。。
私が助手時代に篠山さんがCAPAの表紙を撮影してた。。。今それをしているだから思い入れはある!
私が、CAPAを表紙を撮りだしたのは、2006年時は、43歳だった。。。
このギャップは、器の違いか?私なんぞ!まだまだ当時は写真界では小物だった。。。
その時期にそうした信用をしてくれたスタッフがいた。。。
これからも皆に喜んで頂きたい写真を見せて行きたいと存じます。
さらなる応援を!!!
写真家は写真家に成って上手く成る。。。。
この続きは、後日・・・・
今売り号CAPA5月号橋本マナミさん!
CAPA表紙橋本マナミさんだぁ~!
お陰様でCAPAの表紙を撮影10年目に突入!!!