私が、写真家になってからの道!仕事始め編 [私が、写真家になるまでの道]
独立1年目は、とにもかくにも?一人でやってみた。。。
言葉にすると当たり前だが!
助手を雇わないで、荷物を運ぶのは、限界がある。
スタジオ時代によく派遣で色々なカメラマンの荷物持ちをした。
経験が、活きた。。。
ストロボ3.4台ゼネを運んだり。。。┗(-_-;)┛重いな・・
ハイスタンドを2本!ロールペーパーやあれこれ!
撮影する機材は、自分一人で持つには、物理的に限界がある
機材は、フィルム時代は、今と比べるとうん倍!?違う。。。
今日の現場の光源は、なにかな?と・・・
フィルムも予備に予備の本数で撮る予定の倍は、持っていく!
カラーの撮影でもモノクロのフィルム持参したり。
ディライトでもタングステンのフィィルムは、持参と言う感じ?
今では,Kルビンを変えるだけ!
蛍光灯補正など考えるだけで、ゼラチンフィルターで補正!四苦八苦
とにかく準備の時点で半分撮影の合否は、決まる感じ?
もしかしたら?の準備が、沢山ある。
今までは、人の撮影の準備だったが、、、、
今度は、自分の撮影の準備である。。。。その重大差を思い知る。
一つの忘れ物が、ダイレクトに撮影に響く!
今回の撮影でもしかしたら!良い写真が?と妄想する。。。
35ミリカラーのページで小さいあつかいでも・・・・
八ッセルで回したりしてみたら?。。。とか
使わないと思っても最後のブローにーで回してみたり
この時期のチャレンジが、今の決断力に、繋がっている。
ある時・・・実は、モノクロのページだから!
モノクロフィルムで撮影してくださいの依頼。。。。
もちろんカラーも持参していたのだが?
メインは、モノクロ。。。決めは、モノクロ渋くいくぞ~と気合満々=Tsu-
ポラも用意モノクロでイメージを見せる。。。
逆に押さえカラーは、回さないで良いすっね。。。と編集者に確認!
「ハイ!十分いけてます」
モノクロを手現像して。。。自家プリントをせっせ!
編集部にお届け!。。。ルンルン!
良い出来ですね~~~~!=Tsu
後日・・・・リンリン
編集さん=「土屋さんあのページカラーのページだったんです」
土屋=ちんぷんかんぷん?
カラーページでの使用企画の仕事だったのだ~・・・((゚m゚;)アレマッ!
今ならそんな事故は、無い出来事だぁ。。。
逆にカラーページにドラマテックに贅沢にモノクロ掲載!
私としては、良い結果で見せられて良かった。
そんな!こんで?
デビュー当事はプレッシャーとの戦いでありました
今だったら機材も小さくなってストロボも小型軽量。。。
フィルム選択不要。。。デジタルで安心ポラ不要。。。
今ならそんな失敗は、無いというお話。
いまだから話せる。。。
当事の編集さんは、今は、偉くなってます。m(_ _)m
当時お仕事してた雑誌だぁ~!
懐かしい~~~~~
『PHotoWave表紙』
『GORO』
『cancan』
『週間ポスト』
『フイガロ』
『bacchus』
『ドリブ』
『ゲイナ』
『FLSHI』
『プレジデント』
『SpA!』
『女性セブン』
『DIME』
『とらばーゆ』
『Ms家庭画報』
etc
のちのちこうした雑誌等人の繋がりがでの仕事が、人脈となり。。。
編集さんが他の編集部に移動した時仕事が、なくなるか?
移動先で仕事をさせてもらえるか?
枝葉が広がるか?運命の分かれ道でもあるのです。
シビアな世界なのです。。。
そうした時未使用カットが、編集者さんに目に止まってたか?
雑誌編成とは、違うカットだったが・・・
「良いカットをあったよね!」と見ててくれる。。。
今度あ~ゆう写真を撮ってみてよ!と。。。
原稿に使わない未使用カットが、後々役立つ日が来るのであった!
だから一回一回のもしかしてが!将来の自分の写真に役立つのであ~る2
次回は、土屋にも色恋の話!?
その頃Tsu-20代後半!
ご期待くだされ!
そんな話は、あるのか?(謎)